題名の「行人」とは、道を歩いて行く人、または、旅人の意味だが、「ぎょうにん」と読めば、仏道修行している人、行者という意味になる。この作品の語り手は長野二郎だが、本当の主人公は大学教授をしている兄の一郎である。語り手の二郎も、長野一家も、一郎とHも旅をしているわけだが、人生という旅を真摯に探究しているのは、兄一郎だけである。 読み進めていかなければ、この作品のテーマは見えてこない。主人公の長野二郎は大阪に行って、三沢という友人と旅行しようとしているのだが、三沢は体調を崩して入..

 題名の「行人」とは、道を歩いて行く人、または、旅人の意味だが、「ぎょうにん」と読めば、仏道修行している人、行者という意味になる。この作品の語り手は長野二郎だが、本当の主人公は大学教授をしている兄の一郎である。語り手の二郎も、長野一家も、一郎とHも旅をしているわけだが、人生という旅を真摯に探究しているのは、兄一郎だけである。
 読み進めていかなければ、この作品のテーマは見えてこない。主人公の長野二郎は大阪に行って、三沢という友人と旅行しようとしているのだが、三沢は体調を崩して入院しており、向かいの病室にいる女に心引かれて、探りを入れるように二郎に頼んだりする。
 ただ、物語の本題は三沢とは関係がない。ゆっくりと日常の時間が流れていく。早急に話を進めないところが、長編小説の特徴なのだろう。各場面の描写に専念し、かなり読み進めても、物語の中ではたいして時間が流れていない。各章がぶつぶつ途切れていては、読者を物語に引き込めないからである。
 一家は和歌浦に家族旅行をする。そこで、二郎は兄一郎から、嫂の直が夫の弟である二郎に好意を寄せているのではないかと問われる。嫂の内心を探るように、二郎は一郎に命じられ、そんなことはしたくないと思いながら、嫂の直を連れ出して、嫂の気持ちを探ろうとする。
 なぜそんなことを二郎に頼んだのか。それは一郎が人間不信に陥っているからである。父も母も、妻も弟や妹も、真剣に生きようとしておらず、偽りの態度で相手におもねっているだけだと。そもそも、世間とうまくやっていこうという考え自体が、欺瞞に満ちている。兄一郎が精神的に病んでいると心配した二郎は、兄の同僚のHに兄を旅行に連れ出してくれるように頼む。(つづく)


「青空文庫」の作家、高野敦志の世界
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