「色は匂へど散りぬるを」で始まる「いろは歌」は「浅き夢見じ酔ひもせず」で終わる。これは『涅槃経』の句に基づいた教えで、この世を夢のごとくはかなきものと捉え、それに囚われることを戒めている。仏教はこのように夢を否定している、という日本人の通念からすると、チベット仏教が夢を重視している態度は異様に思えるだろう。そこでは夢を実体なきものとして否定する前に、悟りに至るための手段として活用するのである。 例えばチベット四大宗派の一つ、ニンマ派で主に修行される「ゾクチェン(大究竟)」では..

「色は匂へど散りぬるを」で始まる「いろは歌」は「浅き夢見じ酔ひもせず」で終わる。これは『涅槃経』の句に基づいた教えで、この世を夢のごとくはかなきものと捉え、それに囚われることを戒めている。仏教はこのように夢を否定している、という日本人の通念からすると、チベット仏教が夢を重視している態度は異様に思えるだろう。そこでは夢を実体なきものとして否定する前に、悟りに至るための手段として活用するのである。
 例えばチベット四大宗派の一つ、ニンマ派で主に修行される「ゾクチェン(大究竟)」では、明晰夢を見る方法が明らかにされている。それによると、胸の辺りにチベット文字の白い「ア」字を観想しつつ、横向きになって眠れば、夢を見ながらも意識は持続するという。
 それに関連して思い出すのは、真言密教の修行法「阿字観」と「月輪観」である。前者では梵字の「ア」字を目を閉ざしても見えるようにし、後者では胸の辺りに白く輝く月の光を見、その光に包まれることで自らに仏性を見いだす。「ア」は言葉の始まりを表すとともに、現象を生み出す始原をも象徴している。明晰夢とこの二つの修行法の共通点は、ともに意識を覚醒と睡眠の境界線上に保つ技術である。完全に眠ってしまえば夢も見ないし、通常の意識のままだと心の深奥には触れられない。(つづく)


「青空文庫」の作家、高野敦志の世界
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