明治の初めの廃仏毀釈で、山上にあった修験道の寺院の多くは廃寺となり、神社に鞍替えさせられた。仏教が伝来した古代から、日本の宗教は神仏混淆の状態だったから、無理に分けようとしたのが間違いで、神社の祭神も記紀に出てくる神々に変更されたりした。日本人の精神は方向を見失い、弱肉強食の戦争へと突き進んでいった。その背後には、薩長を手先として日本を属国化したイギリスの影があるわけだが。 神仏混淆の修験道は、明治以前の日本人の信仰がどんなものであったか教えてくれる。修験道の寺院には、天台..

 明治の初めの廃仏毀釈で、山上にあった修験道の寺院の多くは廃寺となり、神社に鞍替えさせられた。仏教が伝来した古代から、日本の宗教は神仏混淆の状態だったから、無理に分けようとしたのが間違いで、神社の祭神も記紀に出てくる神々に変更されたりした。日本人の精神は方向を見失い、弱肉強食の戦争へと突き進んでいった。その背後には、薩長を手先として日本を属国化したイギリスの影があるわけだが。
 神仏混淆の修験道は、明治以前の日本人の信仰がどんなものであったか教えてくれる。修験道の寺院には、天台宗や真言宗の僧侶とともに、半僧半俗の山伏が大勢いた。明治の初めに修験道は禁止され、一部の山伏は僧侶か神主になったようだが、大半は還俗を強いられたという。修験道では日本の神々も信仰の対象だったが、仏教色の方が強かったとされる。とはいえ、天台宗や真言宗の寺院では、本堂の中に護摩壇が据えられているのに対し、修験道では屋外で柴灯護摩を修すことが多い。また、山伏の服装は僧侶の袈裟とは異なっている。
 吉野の金峯山寺は、天台系修験道の寺院で、現在は金峯山修験本宗の総本山となっている。廃仏毀釈で神社にされそうになったが、執拗な抵抗によって伝統を守り抜いた。蔵王堂の本尊、金剛蔵王権現は、修験道の開祖役小角が感得した神で、密教の忿怒尊を力動的な姿で表したと見られる。以前、金峯山寺に参拝した折には、みなぎる迫力に圧倒されたものである。
 廃仏毀釈によって、蔵王権現を祀る寺院は多くが神社となり、祭神として安閑天皇、日本武尊、須佐之男命などが祀られている。蔵王権現の本地は釈迦如来、千手観音、弥勒菩薩とされ、過去・現在・未来を司る神として、仮の姿で日本に現れたと考えられてきた。そのため、廃仏毀釈で権現と名のつく修験道の神は、ことごとく弾圧の対象とされたのである。
 前置きが随分長くなったが、現在、金峯山寺では、新型コロナウイルスの退散を祈る姿を、オンラインで公開している。金剛蔵王権現のお姿を拝むこともでき、護摩壇に燃え上がる炎を見つめながら、一日も早い疫病の退散を祈ることもできる。密教に関心がある人や、願い事がある人は、次のリンク(https://www.facebook.com/100001949718157/videos/3686222374786050/)にアクセスしてみよう。


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