悪党と言っても、単に反社会的な存在ではない。悪という漢字には、荒々しくて強いという意味もある。俳聖として崇められている松尾芭蕉だが、嵐山氏の目からすれば、反社会的なものに引かれながらも、したたかな興行者として映るのだろう。その意味で芭蕉を「悪党」と呼んでいるのである。 『奥の細道』の旅に発つときのことを、芭蕉は「住める方は人に譲り」と書いたが、その家も実は、芭蕉を師と崇める人たちの寄付で建てられたのに、惜しげもなく売り払ってしまったものだという。千住で舟を上がって詠んだ句「..

 悪党と言っても、単に反社会的な存在ではない。悪という漢字には、荒々しくて強いという意味もある。俳聖として崇められている松尾芭蕉だが、嵐山氏の目からすれば、反社会的なものに引かれながらも、したたかな興行者として映るのだろう。その意味で芭蕉を「悪党」と呼んでいるのである。
 『奥の細道』の旅に発つときのことを、芭蕉は「住める方は人に譲り」と書いたが、その家も実は、芭蕉を師と崇める人たちの寄付で建てられたのに、惜しげもなく売り払ってしまったものだという。千住で舟を上がって詠んだ句「行く春や 鳥啼き魚の目は泪」も、魚が涙をためているのかと思いきや、嵐山氏によれば、魚問屋である杉風(さんぷう)の別離の涙を言っているのだそうだ。
 芭蕉は反社会的な若者が好きで、お預けの身になった者を連れ出して旅をした。しかも、衆道の相手として。衆道とは同性愛のことで、芭蕉には妾もいたらしいが、才気のある青年が大好きだった。江戸時代までの日本の男は、女色と同じぐらい男色が好きだったのである。芭蕉は聖人ではないから、好き嫌いの感情もはっきり表した。余りにも人間的だったのである。(つづく)


「青空文庫」の作家、高野敦志の世界
https://podcasts.apple.com/jp/podcast/qing-kong-wen-ku-no-zuo-jia/id504177440?l=en


Twitter
https://twitter.com/lebleudeciel38


にほんブログ村


人気ブログランキングへ





ランキングはこちらをクリック!

amzn_assoc_ad_type ="responsive_search_widget"; amzn_assoc_tracking_id ="faucon-22"; amzn_assoc_marketplace ="amazon"; amzn_assoc_region ="JP"; amzn_assoc_placement =""; amzn_assoc_search_type = "search_widget";amzn_assoc_width ="auto"; amzn_assoc_height ="auto"; amzn_assoc_default_search_category =""; amzn_assoc_default_search_key ="";amzn_assoc_theme ="light"; amzn_assoc_bg_color ="FFFFFF";
Twitter、facebookでの拡散、よろしくお願い致します!

Twitter Mentions