僕は幼児の頃から、お話を作るのが好きだった。中学生の頃には、将来は作家になりたいと思うようになった。早稲田大学に入学すると、文芸専修に進んだが、小説の書き方は教えてもらえなかった。 二十代の終わりに、某文学賞を受賞した。大きな心の支えにはなったが、自分は天才じゃないかと錯覚してしまった。そのせいで、無自覚のまま書き続けて、スランプが延々と続いた。 僕は日本語教師だったので、大学院に入り直して、日本語の研究をしようと思った。そこで、文体論の研究者である中村明教授のゼミに入り、..

 僕は幼児の頃から、お話を作るのが好きだった。中学生の頃には、将来は作家になりたいと思うようになった。早稲田大学に入学すると、文芸専修に進んだが、小説の書き方は教えてもらえなかった。
 二十代の終わりに、某文学賞を受賞した。大きな心の支えにはなったが、自分は天才じゃないかと錯覚してしまった。そのせいで、無自覚のまま書き続けて、スランプが延々と続いた。
 僕は日本語教師だったので、大学院に入り直して、日本語の研究をしようと思った。そこで、文体論の研究者である中村明教授のゼミに入り、日本語学の研究として、小説のテキストを分析するようになった。日本語学の論文を書くことを通して、小説を書くための技法も学んでいった。
 すでに初老の年となった。このままで終わってしまっては、何で生まれてきたのか分からない。内心では小説を書くために生まれてきたと、思い込んでいるからだ。
 そこで、なぜ長らく創作がうまくいかなかったのか考えた。まず、出版社の文学賞に、無自覚のまま応募してきたということがある。自分の書く能力は、どういう分野で最大に発揮されるかということを、考えてこなかったということ。もう一つは、小説の長さである。
 僕は習作として、長い作品も書いてみたが、どうもうまくいかない。どうやら、自分は短編に向いているようである。短い作品なら、限られたスペースを最大限に活かす方法も分かるし、数多く書くことで、技術的な向上も望める。書く技術が向上すれば、将来的には長いものにも挑戦できるもしれないが、今は短編を数多く書くことに専念することにした。
 純文学を書いている人間は、芥川賞を目標とするものだが、仮に芥川龍之介が現代に生きていたら、果たして芥川賞を受賞できただろうか。芥川の傑作はすべて短編であり、長編を目指したらしい「邪宗門」は未完に終わった。エドガー・アラン・ポーの緻密な作品も、短編だからこそ完成できたのではないか。


「青空文庫」の作家、高野敦志の世界
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