日本という国名はどこから来たのか。『魏志倭人伝』には、竹斯國 (筑紫国)の東方に秦王国という国があり、住民が華夏(中国)と同じだと記している。聖徳太子が「日出處天子(日出る處の天子)」という国書を隋に送ったとされる飛鳥時代に、実はまだ国家統一がなされていなかったのだろう。倭国の存在自体が、九州と朝鮮半島南部にまたがる海峡国家だったとする説もあり、東日本には日高見国という別国家も存在したとされる。 『旧唐書』には「倭国伝」と「日本伝」があり、倭と日本が同じ国であるという説と、..

 日本という国名はどこから来たのか。『魏志倭人伝』には、竹斯國 (筑紫国)の東方に秦王国という国があり、住民が華夏(中国)と同じだと記している。聖徳太子が「日出處天子(日出る處の天子)」という国書を隋に送ったとされる飛鳥時代に、実はまだ国家統一がなされていなかったのだろう。倭国の存在自体が、九州と朝鮮半島南部にまたがる海峡国家だったとする説もあり、東日本には日高見国という別国家も存在したとされる。
 『旧唐書』には「倭国伝」と「日本伝」があり、倭と日本が同じ国であるという説と、異なる国であるという説を併記している。これは九州を中心とした倭国と、九州から東北南部まで支配した日本国を、同じ国としてとらえるか、別の国としてとらえるかで、編者が悩んでいたからだと思われる。
 白村江の戦いで、倭と百済の連合軍は、唐と新羅の連合軍に敗北する。百済が滅亡したように、倭も唐によって解体されたと見るべきで、日本を建国させたのは、唐の則天武后だという(「武后改倭國為日本國」「倭國武皇后改曰日本國」『史記正義』)。則天武后の子が天武天皇であり、壬申の乱は倭国滅亡と日本国建国を改竄した歴史だというのである。
 最後に、日本という国名であるが、「日本語」「日本書紀」を「ニホンゴ」「ニホンショキ」と読ませることから、「ニホン」の方が本来の国名であるように思われがちであるが、古代の日本語ではハ行の子音はP音で発音されていたので、「ニチポン」「ジツポン」「ニポン」「ジポン」などと発音していたはずである。(日は呉音では「ニチ」、漢音では「ジツ」である。)現代中国語の声調では rìběn だが。マルコ・ポーロが『東方見聞録』でZipanguと記し、フランス語のJapon、英語のJapanという呼び名も生まれたのだろう。
 したがって、現代人には「ニホン」の方が正統な読み方のように感じられるが、復古的には「ニッポン」ということになる。要するに、いずれが正統かというより、日本語の発音の変遷がからんでいるので、どちらも正しいというのが答えだろう。


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