日本は幕末にイギリス女王の支配下に入った。孝明天皇は憤激して、崩御を装って生前退位し、静岡に隠棲されていたという。長州が禁門の変で京都御所に大砲を撃ち込み、長州征伐が決まると、長州藩主毛利敬親は朝鮮兵一万六千人を入国させた。山口県に朝鮮出身者が多いのは、そのためらしい。 宗主国となったイギリスは、徳川幕府を倒すことにした。薩摩と長州の下級武士が中心となって動いたが、それは宗主国イギリスの言いなりになる西洋風の属国に、日本を改造するためだった。薩長の明治新政府はイギリスの傀儡..

 日本は幕末にイギリス女王の支配下に入った。孝明天皇は憤激して、崩御を装って生前退位し、静岡に隠棲されていたという。長州が禁門の変で京都御所に大砲を撃ち込み、長州征伐が決まると、長州藩主毛利敬親は朝鮮兵一万六千人を入国させた。山口県に朝鮮出身者が多いのは、そのためらしい。
 宗主国となったイギリスは、徳川幕府を倒すことにした。薩摩と長州の下級武士が中心となって動いたが、それは宗主国イギリスの言いなりになる西洋風の属国に、日本を改造するためだった。薩長の明治新政府はイギリスの傀儡政権だったのである。
 西洋嫌いの孝明天皇と睦仁親王は排除され、蘭学者箕作阮甫の孫で、イギリスに留学していた箕作奎吾が、明治天皇として即位した。大日本帝国憲法で陸海軍の統帥権が日本政府にはなく、天皇の大権とされたのは、イギリス女王の支配下に入った天皇を通じて、日本を動かす意図があったからである。日露戦争はロシアの東アジア進出を阻止するために、イギリスによって日本がロシアと正面衝突させられた戦争である。昭和天皇もイギリス軍の陸軍元帥だった。
 第二次世界大戦後、日本はGHQの支配下に入った。1952年に発効したサンフランシスコ平和条約で、形式的に独立を回復したことになっているか、首相も大臣も出席できず、アメリカ軍と官僚による日米合同委員会の指示のもと、日本はいまだにアメリカの軍政下にある。与党議員の多くが国会で居眠りしているのも、官僚から伝えられたアメリカ軍の指示を、伝えているだけだからである。(つづく)


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