尾崎一雄は私小説作家と言われる。私小説というと、作家自身をモデルにした小説というわけだが、必ずしも一人称小説とは限らない。長編『芳兵衛物語』の多木太一は、貧乏生活をしていた新進作家、尾崎一雄がモデルの三人称小説である。芳兵衛と呼ばれている芳枝は、妻松枝がモデルと考えられる。穴八幡宮など、早稲田大学界隈が描かれているので、自分の学生時代のことが思い出された。 文筆だけで食べる貧乏暮らし、妻の着物を質屋に入れさせて食いつなぐ。今ではあり得ないような生き方である。今の作家なら自分..

 尾崎一雄は私小説作家と言われる。私小説というと、作家自身をモデルにした小説というわけだが、必ずしも一人称小説とは限らない。長編『芳兵衛物語』の多木太一は、貧乏生活をしていた新進作家、尾崎一雄がモデルの三人称小説である。芳兵衛と呼ばれている芳枝は、妻松枝がモデルと考えられる。穴八幡宮など、早稲田大学界隈が描かれているので、自分の学生時代のことが思い出された。
 文筆だけで食べる貧乏暮らし、妻の着物を質屋に入れさせて食いつなぐ。今ではあり得ないような生き方である。今の作家なら自分自身で働くか、妻に働かせるだろう。作家個人の心境を描いたとしても、それが劇的でなければ、現代の読者の関心を引くことは難しい。太宰治のように、女と心中して相手を死なせて、警察沙汰になったりしなければ、刺激に慣れた現代人の心は躍らない。
 短編「虫のいろいろ」は随筆のような作品だ。こちらは語り手が「私」の一人称小説である。天井の蜘蛛を眺めたり、瓶や窓の隙間に蜘蛛を閉じ込めたり。梶井基次郎の「冬の蠅」を連想させる。病気がちだった尾崎は、梶井と似たような心境だったのだろうか。痛みを伴う病を抱えた「私」は、蜘蛛にも不自由を強いるという加虐性を持っている。額の皺で蠅を捕まえるといった裏技も、そうした屈折した思いが反映しているのだろう。便所の窓から富士山を眺めるという奇想も、太宰治の「富嶽百景」からヒントを得たのか。
 ただし、読んでいて陰湿な感じはしない。虫の気持ちになって描いているからである。蜂は力学的に飛べないことを知らないから、飛んでしまうことから、不可能を可能にする希望を見いだしたり。また、子供の問いから宇宙の壮大さに思いを馳せたり。
 現代人は作家の身辺雑記のような小説を、受け容れないかもしれない。とはいえ、読者の関心を呼ぶために奇をてらう小説が多い中で、生活に根ざしたリアリティを描く大切さを、改めて思い起こさせてくれる。


「青空文庫」の作家、高野敦志の世界
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