祖母が七十七歳になったのは、一九七一年(昭和四六)のことだった。前年には三島由紀夫が自衛隊で割腹自殺、翌年には日中平和友好条約が締結された。まだ小学校低学年だったけれども、当時のことはよく覚えている。 今では九十歳まで生きる人も珍しくないが、当時は七十七歳でも長生きだった。喜寿を祝うかで意見が分かれていると、母が教えてくれた。「喜寿のお祝いをすると、すぐに亡くなってしまうって話があるから」というのだ。今と違って、縁起担ぎをしていたからだ。結局、祝うことになり、父は庭の木の幹..

 祖母が七十七歳になったのは、一九七一年(昭和四六)のことだった。前年には三島由紀夫が自衛隊で割腹自殺、翌年には日中平和友好条約が締結された。まだ小学校低学年だったけれども、当時のことはよく覚えている。
 今では九十歳まで生きる人も珍しくないが、当時は七十七歳でも長生きだった。喜寿を祝うかで意見が分かれていると、母が教えてくれた。
「喜寿のお祝いをすると、すぐに亡くなってしまうって話があるから」というのだ。今と違って、縁起担ぎをしていたからだ。結局、祝うことになり、父は庭の木の幹を切り、「不老長寿」と刻み込んだ杖を贈った。それとは別に、父の兄弟一同で安楽椅子を贈った。それに腰かけた祖母の写真が残っている。
 その中には幼かった僕や妹も写っていた。正月に集まったときは、余り写真を撮らなかったから、祖母を囲んだその写真が、その家が最もにぎやかだった頃の記録として残っている。(つづく)


「青空文庫」の作家、高野敦志の世界
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