作文と小説はどこが違うか。まず、分量が違うのは当然だろう。ただ、ショートショートなんて分野もあるから、分量を抜きにして考えてみたい。 作文は自分の体験や意見を書くものだという説明は、至極もっともな気がする。とはいっても、自伝的な小説もある。作文にも多少ともフィクションが混じることがあるし、小説でも自己の体験をかなり忠実に描いている場合もある。 最も異なるのは、作文はごく普通の人でも、素直に書けば心に訴えるものができるという点である。素朴なところが新鮮なのである。一方、小説の..

 作文と小説はどこが違うか。まず、分量が違うのは当然だろう。ただ、ショートショートなんて分野もあるから、分量を抜きにして考えてみたい。
 作文は自分の体験や意見を書くものだという説明は、至極もっともな気がする。とはいっても、自伝的な小説もある。作文にも多少ともフィクションが混じることがあるし、小説でも自己の体験をかなり忠実に描いている場合もある。
 最も異なるのは、作文はごく普通の人でも、素直に書けば心に訴えるものができるという点である。素朴なところが新鮮なのである。一方、小説の文章はプロの技量がなければ書けない。言葉に両義的な意味を持たせたり、物語のストーリーとは別に、人間の無意識に訴えかける象徴を、随所にちりばめていたりするのが小説の文章である。
 自伝的な小説なら、細かい筋立てを考えずに、一気に書くということもできるだろうが、ある程度の長さ以上の小説は、一人称で書かれていても、三人称で書かれていても、大まかな計算はされている。
 ただ、家を建てるときに「遊び」が重要なように、余りに綿密に計算しすぎると、ぎすぎすして計算尽くの文章になる。大まかにきめておいて、書きながら前後の関連が発見されていくというのが理想である。
 完成された小説の文章は、いわゆる「テキスト」である。ラテン語のtextus(織物)が語源である。縦糸と横糸が絡み合い、各部分同士が、密接な関わりを持っている。現実の世界を構成する要素は、複雑な関係を互いに持っている。小説の文章を読んでリアルに感じるためには、完成した段階での文章に、そうした絡み合いが必要なのである。


「青空文庫」の作家、高野敦志の世界
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