大半の日本人は、蝦夷地と呼ばれた北海道の歴史を知らない。和人が渡島半島に進出したのは中世で、蛎崎氏、のちに「松前」氏と改姓した一族が、徳川幕府によって松前藩として、蝦夷地の支配を認められるようになる。 それはあくまでも、和人の立場からであって、アイヌ人にとっては、侵略と同化の歴史の始まりに過ぎない。普通の日本人は、シャクシャインの戦いを知らないだろう。松前藩は和睦のために集まったアイヌの酋長たちに酒を飲まして、斬殺してしまった。虐殺は江戸時代の1669年(寛文9)に起きた。..

 大半の日本人は、蝦夷地と呼ばれた北海道の歴史を知らない。和人が渡島半島に進出したのは中世で、蛎崎氏、のちに「松前」氏と改姓した一族が、徳川幕府によって松前藩として、蝦夷地の支配を認められるようになる。
 それはあくまでも、和人の立場からであって、アイヌ人にとっては、侵略と同化の歴史の始まりに過ぎない。普通の日本人は、シャクシャインの戦いを知らないだろう。松前藩は和睦のために集まったアイヌの酋長たちに酒を飲まして、斬殺してしまった。虐殺は江戸時代の1669年(寛文9)に起きた。1789年(寛政元)のクナシリ・メナシの戦いで、蝦夷地の松前藩による支配が確立した。
 文献的に認められる以前の歴史には、不明な点が多い。アイヌ語には文字がなかったからである。とはいえ、DNA鑑定によると、アイヌ人の祖先は縄文人である。遺伝的に最も縄文人の遺伝子を引き継いでいるのがアイヌ人で、次いで琉球人、本土日本人の順になる。
 縄文人のことを、古代の日本人は蝦夷と呼んでいた。富士もアイヌ語の「火の神」が語源とされる。日本の地名にアイヌ語が残っているのは、縄文人がアイヌ語を話していたからだろう。ただし、北海道の北部はオホーツク文化が栄えていたから、北海道にいた縄文人が北方民族のニブヒなどと通婚して、アイヌ人になったとも考えられる。東北地方の蝦夷と北海道以北のアイヌ人の違いは、ニブヒとの混血の有無が関係しているのではないか。
 ちなみに、本州北部にもアイヌ人が住んでいたことは、文献的にも確認されている。アイヌ人は江戸中期まで津軽藩領内に居住しており、東北地方の地名の多くもアイヌ語で説明できる。ただし、アイヌ語の東北方言は、同化政策によって消滅したので、詳しいことは分かっていない。


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