この里ちかき白峰といふ所にこそ、新院の陵ありと聞て、拝みたてまつらばやと、十月はじめつかたかの山に登る。松柏は奧ふかく茂りあひて、青雲の輕靡(たなび)く日すら小雨そぼふるがごとし。 上田秋成の『雨月物語』の冒頭「白峰」は、五色台と言われる台地の西に位置する。諸国を行脚していた西行は、白峰という所に、崇徳上皇の陵墓があると聞いて、参拝したいと十月初めに登った。松や柏が深く茂り合って、青空に雲のたなびく日すら、小雨がしとしと降るように薄暗かった。 白峯寺の中を歩いていく。護摩堂..

 この里ちかき白峰といふ所にこそ、新院の陵ありと聞て、拝みたてまつらばやと、十月はじめつかたかの山に登る。松柏は奧ふかく茂りあひて、青雲の輕靡(たなび)く日すら小雨そぼふるがごとし。

 上田秋成の『雨月物語』の冒頭「白峰」は、五色台と言われる台地の西に位置する。諸国を行脚していた西行は、白峰という所に、崇徳上皇の陵墓があると聞いて、参拝したいと十月初めに登った。松や柏が深く茂り合って、青空に雲のたなびく日すら、小雨がしとしと降るように薄暗かった。

 白峯寺の中を歩いていく。護摩堂で不動尊を拝んだ後、左手に進むと道は三つに分かれる。正面は頓証寺殿である。崇徳上皇がたちどころに悟るように、鎌倉初期、鼓岡の御所を移したと伝えられる。前面の門は江戸初期に再建されたものだが、後小松天皇御宸筆(しんぴつ)の額が掛けられているので、勅額門と呼ばれている。門には源為義・為朝父子の像が安置されている。保元の乱で崇徳上皇に与(くみ)して、為義は死罪、為朝は配流(はいる)先の伊豆大島で自害している。(つづく)


「青空文庫」の作家、高野敦志の世界
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