祖母は明治二十七年に、田子の浦のほとり富士郡元吉原村で生まれた。東京の家政学校で学んだ後、大正の初めに、同郡伝法村の祖父と結婚した。関東大震災の後、南武鉄道(現、JR南武線)建設に関わった祖父とともに、川崎駅のそばに引っ越してきた。 ほどなく父が生まれた。当時は周囲が田んぼで、今は路地となっているところが小川で、小魚が泳いでいたそうだ。リュウマチを患っていた祖父は、昭和十五年病気療養で帰郷中に急逝した。長男は中国大陸に出征、次男はニューギニアで戦死、三男である父は、予科練に..

 祖母は明治二十七年に、田子の浦のほとり富士郡元吉原村で生まれた。東京の家政学校で学んだ後、大正の初めに、同郡伝法村の祖父と結婚した。関東大震災の後、南武鉄道(現、JR南武線)建設に関わった祖父とともに、川崎駅のそばに引っ越してきた。
 ほどなく父が生まれた。当時は周囲が田んぼで、今は路地となっているところが小川で、小魚が泳いでいたそうだ。リュウマチを患っていた祖父は、昭和十五年病気療養で帰郷中に急逝した。長男は中国大陸に出征、次男はニューギニアで戦死、三男である父は、予科練に入隊した。昭和二十年四月十五日の川崎大空襲で、川崎駅周辺は焼け野原になったが、通りを隔てた祖母の家は、奇蹟的に類焼を免れた。
 祖母は和裁の仕立てなどをして、生計を立てていた。本を読むことが祖母の生きがいだった。『源氏物語』などを原文で、現代小説のように読んでいた。その家には、祖母と伯父夫婦、年が離れたいとこ二人、実家に戻ってきた伯母、父、叔母の八人が暮らしていた。(つづく)


「青空文庫」の作家、高野敦志の世界
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