松山城に行くことになった。お堀の辺りからお城まではロープウェイとリフトがある。小雨がぱらついてきたので、ロープウェイにした。所要時間は約2分。 松山城は雷火で焼失したが、天守閣は1820年(文政3)に再建された。城郭の復元が終わったのは1854年(安政元)である。規模としては高知城の方が勝るが、かなり高い所にある平山城で、そこに至るまでにいくつもの門があり、警備体制や非常時への備えは、相当堅固だったと見られる。 城郭の全体が保存されている点、規模の大きさ、平地からの高さの点..

 松山城に行くことになった。お堀の辺りからお城まではロープウェイとリフトがある。小雨がぱらついてきたので、ロープウェイにした。所要時間は約2分。
 松山城は雷火で焼失したが、天守閣は1820年(文政3)に再建された。城郭の復元が終わったのは1854年(安政元)である。規模としては高知城の方が勝るが、かなり高い所にある平山城で、そこに至るまでにいくつもの門があり、警備体制や非常時への備えは、相当堅固だったと見られる。
 城郭の全体が保存されている点、規模の大きさ、平地からの高さの点などから、城の軍事的な側面と、権威を象徴する威厳を兼ね備えていたことが分かる。一度は焼け落ちた全体を、よくここまで復元したものだと感心させられた。明治維新や戦災を乗り越えられたのも、奇蹟的としか言いようがない。(つづく)


「青空文庫」の作家、高野敦志の世界
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