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崇徳上皇の霊廟(3)
「青空文庫」の作家、高野敦志の世界
Japanese - July 04, 2020 18:05Books Arts Society & Culture 日本文学 コンピューター ジャズ 電子本 電子書籍 文学賞 青空文庫 epub pdf 高野敦志 Homepage Download Apple Podcasts Google Podcasts Overcast Castro Pocket Casts RSS feed
崇徳上皇は1164年(長寛2)8月26日(新暦では9月21日)に崩御された。御遺言により、稚児が嶽で荼毘に付された。『雨月物語』の「白峰」に描かれた西行が、崇徳上皇の霊廟の前で読経したのは、1166年(仁安元)であるから、崩御から二年後のことである。 白峯寺の勅額門を過ぎて、右の石段を上れば本堂、大師堂がある。頓証寺殿の左方、細い山道を下るのが、白峰御陵への道である。直径1メートル近くもある巨木の杉が数本、行く手を遮るように立ち並んでいる。しばらく行くと、左方に急な石段が続..
崇徳上皇は1164年(長寛2)8月26日(新暦では9月21日)に崩御された。御遺言により、稚児が嶽で荼毘に付された。『雨月物語』の「白峰」に描かれた西行が、崇徳上皇の霊廟の前で読経したのは、1166年(仁安元)であるから、崩御から二年後のことである。
白峯寺の勅額門を過ぎて、右の石段を上れば本堂、大師堂がある。頓証寺殿の左方、細い山道を下るのが、白峰御陵への道である。直径1メートル近くもある巨木の杉が数本、行く手を遮るように立ち並んでいる。しばらく行くと、左方に急な石段が続いており、右方が石の柵に守られた御陵である。
西行が上皇の菩提を弔うために、夜通し読経したのは、先ほど通った霊廟、頓証寺殿の前とされる。熱意に心動かされたのか、霊廟が震動すると、崇徳上皇の霊が姿を現して和歌を詠まれた。
松山の浪に流れてこし船の
やがて空しくなりにけるかな
西行は涙して、御返歌申し上げた。
よしや君 昔の玉の床(ゆか)とても
かからんのちは何にかはせん
松山の浪に流れ着いた船は、すぐに跡形もなくなってしまったと、上皇は配流の日々の空しさを詠まれた。それに対して西行は、たとえ昔は金殿玉楼におられたとしても、世を去ったのちは、それが何になりましょうか、成仏なさいませと申し上げた。生前の怒りにかられた上皇は声を荒げて、魔王となる決意をした経緯を語られたという。
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